原爆の日③

2021/08/09

「長崎原爆の日 平和公園で祈念式典 投下時刻に黙とう」毎日新聞記事 8月9日0時00分 について

広島市の平和記念公園、そして今回の記事の平和公園という文言にをみて違和感を感じ疑問に思われる方が       どれくらいいらっしゃるかは判りませんが…

広島市で31万9000人以上、長崎市で18万2600人以上合わせて50万人以上の被爆者、1945年12月末までの間に     広島長崎、合わせて20数万人方々がお亡くなりになられました。
それが何故「平和記念」公園なのでしょうか。

原爆公園などの名称がしっくりくるような気がしますが…
以前の記事にも書かせていただきましたが、当時の連合国軍の占領政策の一環なんですね。

トルーマンに次ぐ原爆投下の最高責任者ヘンリー・スチムソン陸軍長官は1947年(昭和22年)2月、           原子爆弾投下のいきさつについて次のように述べています。※現代語にて割愛して書きます。
「連合軍は死ぬまで戦うという民族を敵にまわし、500万の兵、5千の特攻機を全滅させなければならない
大規模な戦闘は、最も早くみて1946年の後半以前には終わらなかったであろう、このような作戦を実行すれば       米軍の死傷は100万人以上という予測、敵(日本)の損壊ははるかにそれ以上であろう。
B-29一機が一個の原子爆弾を広島に投下し、3日後長崎に投下されここに戦争は終わった」
連合軍や日本の被害を最小限に抑え、日本に条件受諾を決意させた決定的要素がまさしく原爆だと、          米国の正当性を必死になって発言しておりました。当然トルーマンもですが。

長崎市の田上富久市長は政府に一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるべく式典中に読み上げた宣言で、核禁条約に署名。批准していない政府に第一回締約国会議(2022年1月開催予定)への参加などを求める予定。
核兵器のない世界の実現に向けてリーダーシップを発揮するよう求めると。広島市長松井一実も基本同じ発言。

何故彼等は隣の支那、北朝鮮には一言たりともいわないのでしょうか(笑)

世界9ヵ国が1万4000発以上保有し現在でも核実験は行われており、隣の北朝鮮は当然、支那も吉林省に日本に、      200発のミサイルを向けております。
                                                        広島の原爆の日には書道家の大津定信とかいうのが戦争の苦しみや悲しみ平和の尊さを訴え「被爆者の叫び」なる書を書きましたが、彼等に共通しているのは現実を直視しない、できないということだと思います。


真珠湾爆撃記念日より80年、                                          広島長崎でお亡くなりになられた方々、先の大戦で亡くなられた方々へ哀悼の意を捧げます。



 

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